突発性難聴闘病日誌

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闘  病  日  誌
2007年6月29日(金) 闘病43日目
内服薬のみ

耳鳴り、聞こえ具合、めまいについて特に自覚する変化は無し。

夜、偶然テレビの手話ニュース(NHK)を見た。

幸い聴力を失くさずに済みそうだが、もし聴力を失くしていたら、手話も覚えないといけなかったのだろうか、と考えたのである。

見ているうちにいろいろ考えた。

もしそうなったら、英語のリスニングの勉強が不要となり、手話を勉強することになるのだろう。40を超えてからでは大変そうだ。英語のリスニング能力(ほとんど無いが)は全く要無しだ。

手話には世界共通語はないのだろうか?犬とか猫とかの名詞だけでもあれば便利そうだが。

手話では最近生まれた言葉、流行語はどう表現するのだろう。例えばアップル社が販売し始めた「I Phone」、若者言葉の「ありえない」などだ。新聞などで読み言葉にはなっているのだから、手話でも当然必要だろうに。

テレビの手話通訳者を見ていると、身振り手振りと同様、かなり口を使っていることに気がつく。手話と同時に読唇させながら話しているということだろうか。

よく見ていると、手話というのは外国語ではなく「身振り手振り」、あるいは「ゼスチャー」だという印象を持つ。(当たり前か)

子供の頃NHKで「ゼスチャー」という番組があった。身振り手振りで言葉を当て合うというものだったが、ちょうどそんな感じだ。手話通訳者は「檻(おり)」という言葉を表現するのに胸の前に鉄格子があるような動作をしたように見えた。

などなど。

あまりに低い知識と認識で恥ずかしいのだが、今まであまり考えたことがなかったのだ。

我が身に及ばなけらば、思いも及ばないというのは情けないが、逆に言えば、こんな私でも、突発性難聴を経験することで新しい視点が生まれ、これまで関係ないと思っていた世界に思いが及ぶようになったということだろう。

そう考えるとこれはプラスの出来事でもあるのだ。

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